行き当たりばったり

鬱で失職した或阿呆のリアルな日常

まだ生きてました

目が覚めたら

この世に居ました

 

今日もミナアヤとチェロに

1日すべての時間を

かけることができました

 

幸せです

 

朝は雨上がりの道を

通常どおりにお散歩です

 

昼は1時過ぎから

3時ちょっと前まで

 

お日さまぽかぽかの

田んぼ道を

のんびりお散歩です

 

お昼寝をすれば

ミナアヤは

Gaucheのそばで

ぴったりくっついて

3人一緒

 

チェロも

弾きました

 

ミナアヤはその間も

すやすやおねんね

したままです

 

そうこうしてるうちに

すっかり暗くなって

 

いつの間にか

 

ミーナとあやめと

チェロにまみれ

どっぷり浸った

 

今日もそろそろ

終わりです

 

贅沢な1日でした

 

ほとんど何もしない充実感

 

わかっていただけるかなぁ…

 

矛盾に溢れた言葉ですが

まさにそんな感じです

 

少し前までは

何もしないと

不安と罪悪感に苛まれ

 

落ち込んだ気持ちに

なりましたが

 

何もしなくたって

 

ミナアヤと一緒に

いられるだけで

 

一緒にいたという

事実があるおかげで

 

もはや

何もしなかったことにすら

なっていなくて

 

今日も1日

やりきった感がするんです

 

わかっていただけるかなぁ…

 

自分にとって

何が大切なのか

 

それがわかっていると

言うことが

 

こんなにも人を

 

幸せにし

満たし

 

そして

 

強くするんですね

 

強くなりましたよ

Gauche

 

何もしないことの

罪悪感に押し潰されて

 

嫌な親家片にさえ

存在意義を

確認するために

依存して

 

今日はこれだけ

仕事をしたのだから

俺は意味のある

1日を送ったのだ

 

そんな拙い

自己満足で

自分を欺いていた

 

つい先日までの

Gaucheに比べて

 

はるかに強くなりました

 

ミナアヤとチェロだって

自己満足ですよ

 

でも

自己満足のレベルと質が

全然ちがいます

 

親家片のように

 

何かをした

成果があった

誰かに認めてもらえそう

 

そんな自己満足ではなく

 

何もしない

成果は問わない

誰に認められるわけでもない

 

それなのに満足

 

自己満足のレベルと質が

全然ちがいます

 

所詮は

自己満足なんですよ

 

人間って

 

自己満足という表現が

少し辛辣であれば

 

自分の価値観

 

そう言い換えてみても

いいかもしれません

 

自分の価値観に見合った

生活や生き方ができるとき

 

人は満たされ

幸せを感じ

 

その価値観が

自分にとって

やっぱりいちばんなのだと

確認できて

 

その価値観が

さらに強靭になって

 

それが

自分を強くする

 

そんな感じですかね

 

今日もわからんちんでしたが

 

デクノボーは

まだ生きています