行き当たりばったり

鬱で失職した或阿呆のリアルな日常

スピリチュアルと現実のほどよいバランス

今日はおとなしく

一日引きこもっていました

 

とはいえ

お散歩はちゃんと

しましたよ

 

朝は晴れていて

通常どおりに

お散歩できまして

 

お昼頃

すごく天気が良くなって

豊かな陽射しも出てきて

 

ミナアヤも

外に行きたがって

いましたので

 

短めコースを

お散歩して来ました

 

ミナアヤは嬉しそうに

リードをぐいぐい引っ張って

駆け出したり

はしゃいだり

 

嬉しそうにしてて

Gaucheも幸せ

 

あとは2時過ぎに

今度は天気が

怪しくなって来たので

 

あわててお散歩に

出掛けました

 

まだまだ

降りそうには

思えなかったので

調子にのって

少し長めに歩いていたら

 

ごくごくわずかに

雨が当たるのを

感じたので

いい頃合いで切り上げて

帰宅しました

 

降られたといっても

帰宅時点で

メガネに数滴

雨のあとがある程度

 

まあこのくらいなら

上出来でしょう

 

これ以外は家で

とくに何をするでもなく

鬱々と引きこもっていました

 

チェロを少しだけ

弾きました

 

それに

ミナアヤが

甘えてきたり

退屈して

寄ってくれば

もちろん

相手をして

ほっこりしてましたが

 

あとは鬱々

 

なんとなく

良い兆しが

見えてるような

気がしますが

 

いかんせん

現実的かつ具体的には

どんどん窮してきています

 

こんな状況で

行く末のことを思うと

ろくでもない想像しか

出て来ませんので

 

なるべく

何も考えないように

しています

 

もちろん

理想的な状況を

思い描いてみたりも

していますが

 

なにしろ鬱を

患っていますので

 

暗黒面に

囚われることも

しばしば

 

想像は創造

 

暗黒面が

現実化されては

えらいことになるので

 

こういうときは

思考停止が

いちばんです

 

新聞配達の求人に応募して

今日でほぼ一週間になりますが

いまだに連絡が来ません

 

わりと大手の

求人サイト経由での

応募で

 

今までも何度か

利用したことがありますが

 

返事が来ないというのは

今回がはじめてです

 

前回

新聞配達の求人があって

面接に行ったときは

急に腰が痛くなって断念

 

今回は

応募に返事すらありません

 

大いなるものが

新聞配達はよせと

言っているのでしょうか?

 

親家片にも

このところ

行けていませんし

 

たしかに

勤めに出たり

親家片に行ったりして

ミナアヤとの時間が

削られるのは

嫌なのですが

 

親家片も

収入を得ることも

避けては通れない

ことなのです

 

大いなるものが

どのような采配を

ふるってくれるのか

期待しつつ

 

自分でやれることは

やっておこうと思います

 

Gauche

スピリチュアル的なことに

関心がありますし

 

ある意味

それを実践している

ようなものでもあります

 

でもですよ

 

スピリチュアル的な

本やブログを読んでいて

 

あまりにもそれに

頼りっぱなしという

内容のものには

ちょっと違和感を

覚えるのです

 

人智を越えるものに

どうしたらよいか

たずねて

それに従いっぱなしとか

 

導いてもらえるよう

お願いして

それに従いっぱなしとか

 

なにもかも

まかせっぱなし

頼りっぱなし

 

なんでもかんでも

とにかく

スピリチュアル

スピリチュアル

 

そういう内容のものが

少なからずあるのですが

 

嫌悪感とまでは

いかなくても

 

鼻につくというか…

 

ちょっとそれは

違うんじゃないかなぁ…

 

そう感じて

しまうのです

 

自分では何も考えず

何も決めない

 

自分の主体性は

いったいどこに

行ったんだ?

 

それならなにしに

この世に生まれて来たのよ?

 

人智を越える世界で

経験できないことを

経験するために

 

修行や勉強を

するために

 

わざわざ不自由な

物質世界に

生まれて来たんじゃ

ないの?

 

非物質の世界

 

たとえば

想像の世界では

 

何でも

どんなことでも

即時

その通りになるけれど

 

物質の世界では

なかなかそうは行かない

 

だからこそ

この不自由な世界で

自分の主体性を

どこまで発揮し

 

どこまで

現実化させるか

 

そういう

勉強を

修行を

 

堅苦しい

言い方がいやなら

 

そういうゲームを

するために

 

この世に生まれて

来たんじゃないの?

 

これがGaucheの考えです

 

なので

大いなるものの力や

スピリチュアル的なことには

絶対的な信頼が

あるのですが

 

それに

頼りっきり

まかせっぱなしではなく

 

スピリチュアル的なことと

現実的なこと

 

どちらも否定せず

どちらかに片寄ることもせず

 

ほどよいバランスで

取り入れている

つもりなのです

 

もちろん

考えに考え抜いて

頑張るだけ頑張って

 

それでも

答えや結果が

出ないときには

 

ちっぽけな自分より

大いなるものの力に

 

最後を

 

この「最後を」が大切です

 

最後を委ねることは

ありますし

 

ヒントを

求めることもあります

 

そもそも

「答」を求めても

たいてい無回答です

 

よく出来ています

 

とにかく

やれることをやりつつ

 

最後を

結果を

 

大いなるものに

委ねるつもりで

 

今のこの状況を

乗りきって行こうと

思っています

 

明日は4人乗りのほうの軽トラを

車検に出しに行くのですが

 

実はそのお店の少し先に

ハローワークがあるのです

 

そして昨日

母の3回忌で集まってくれた

従姉妹と妹夫婦の

授けてくれた方法や

すすめてくれた職種という

新たな知識

 

昨日 今日 明日という

絶妙なタイミングで

就職知識とハローワーク

眼前にちらつく

 

自分なりに考えて

応募した仕事には

ストップがかかっている

 

この状況こそが

 

スピリチュアルと現実の

ほどよいバランスだと

思うのです

 

あとはおそらく

大いなるものの意思であろう

従姉妹と妹夫婦から授かった知識と

ハローワークというお膳立て

 

それに乗って見て

 

それでもまだ

それを袖にして

新聞配達にこだわるか

 

それとも

大いなるものの提案に

乗ってみるか

 

最終的な判断は

自分の主体性で

決めたいと思います

 

最後を

大いなるものに

委ねておいて

最後の最後で

自分の判断というのは

どうなのよ?

 

矛盾してない?

 

そうお思いですよね?

 

それが正しい反応だと

Gauche自身も思います

 

でも

そういうことを

したからと言って

 

大いなるものが

ヘソを曲げたり

怒って罰を与えたりは

しません

 

また

そうであってはじめて

この世が

 

修行の場であり

勉強の場であり

 

ゲームを楽しむ

場であるのだと

 

デクノボーは

思うのです

 

さてミナアヤもおねむだし

 

お風呂に入って

髭を整えて

 

明日の車検と

ハローワーク

備えるといたしましょう

 

ではまた~♪